2009.07.02 (Thu)
色めがねをはずそう。
つくづく、松下幸之助の論ずる「素直な心」は、
すべてに対して通ずるものだなあと思います。
”素直な心というものは、物事のありのままの姿、
本当の姿、実相というものが見える心である”
というのは、素直な心になったならば、
心の中に物事の実相を覆い隠すというか
これをくもらせるようなものがなくなると思われるからです。
色のついたガラスをとおして見れば
向こうにあるものの本当の色が正確にはわからなくなります。
あるいは、そのガラスがゆがんでいれば、
向こうにあるものもゆがんで見えるわけです。
美しく磨きあげられた無色透明で正常なガラスをとおしてみれば
何の色もつかず、そのありのままが見えます。
その判断は物事の実相に基づいた判断となり、
あやまちのない適切な判断となってくるわけです。
そのように、お互いが素直な心というものを
養い高めていったならば、物事の本当の姿、
実相というものが見えるようになり、
過ちの少ない判断をすることができるようになるはずで、
そういう点から考えてみても素直な心の偉大さがよくわかります。
自分なりの知識、学問という色ガラス、
自分の欲望、利害損失、ひとつの主義、思想という色ガラス。
疑い、思い込み、過去への執着という色ガラス。
自分では正しく見ていたつもりでも
実は色ガラスをとおして物事を見ていないかどうか。
私も素直な気持ちを養っていきたいと思います。


すべてに対して通ずるものだなあと思います。
”素直な心というものは、物事のありのままの姿、
本当の姿、実相というものが見える心である”
というのは、素直な心になったならば、
心の中に物事の実相を覆い隠すというか
これをくもらせるようなものがなくなると思われるからです。
色のついたガラスをとおして見れば
向こうにあるものの本当の色が正確にはわからなくなります。
あるいは、そのガラスがゆがんでいれば、
向こうにあるものもゆがんで見えるわけです。
美しく磨きあげられた無色透明で正常なガラスをとおしてみれば
何の色もつかず、そのありのままが見えます。
その判断は物事の実相に基づいた判断となり、
あやまちのない適切な判断となってくるわけです。
そのように、お互いが素直な心というものを
養い高めていったならば、物事の本当の姿、
実相というものが見えるようになり、
過ちの少ない判断をすることができるようになるはずで、
そういう点から考えてみても素直な心の偉大さがよくわかります。
自分なりの知識、学問という色ガラス、
自分の欲望、利害損失、ひとつの主義、思想という色ガラス。
疑い、思い込み、過去への執着という色ガラス。
自分では正しく見ていたつもりでも
実は色ガラスをとおして物事を見ていないかどうか。
私も素直な気持ちを養っていきたいと思います。


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